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君が代・起立斉唱命令、合憲判断を支持

公立学校の卒業式で「君が代」を斉唱するときに教諭を起立させる命令が合憲か「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反するか、最高裁の竹崎博允長官以外のすべての裁判官の判断が出そろった。5月30日(第二小法廷)、6月6日(第一小法廷)、6月14日(第三小法廷)、いずれも合憲とされた。
人権を文化として日本社会に定着することを目指す立場から、この判断に大いに賛成する。
その理由は、終戦・新憲法制定の時期から1999年の国旗・国歌法の施行までの50数年の時期と法律施行後から10余年が経った21世紀の今日とを分けて考える必要があるからだ。
最高裁の判断の基準には、国民の社会通念・理性と良心に基づく多数意見あえていえば一般意思が反映されなければならない。だから最高裁裁判官には国民審査がある。この理性と良心に基づく多数意見(以下、「社会通念」とする)が、ちょうど法律施行前と施行後の時期あたりを境に、国際社会の変化や国内の人権状況の改善により大きく変化したと考えるからである。
まず、憲法に違反するという立場の考え方を整理する。6日の第一小法廷の宮川光治裁判官の反対意見を参考にするのが妥当だろう。
①思想・良心を多数者のそれと等しく尊重し、少数者の思想・良心の核心に反する行為を強制することは許容しない。
②「日の丸」「君が代」を軍国主義や戦前の天皇絶対主義のシンボルであるとみなし、平和主義や国民主権とは相いれないと考える歴史観をもち、国旗に対する敬礼や国歌の起立斉唱という儀式のマナーにしたがえない少数者がいる。
③この職務命令は、直接には歴史観、世界観、教育上の信念を持つことを禁じたり、これに反対する思想を強制したりするものではないが、不起立不斉唱は思想・良心の核心の表出であるか、少なくとも密接に関連する可能性がある。
④都教委の通達は、式典の円滑な進行を図る価値中立的な意図ではなく、日の丸・君が代に反対する歴史観を持つ教職員を念頭におき、それに対する否定的評価を背景に、不利益処分をもって歴史観に反する行為を強制することにある。
①②について、考えてみる。思想・良心は、多数者も少数者も等しく尊重し、少数者に対し、それに反する行為を強制してはならない、ということは当然である。ようするに、「学校の儀式で教師が自分の思想・良心を護るためにマナーにしたがわない権理を主張すること」と「国際社会では他国の国旗・国歌への敬愛の表明は国際マナー。国際常識を身につけるためにも、まず自国の国旗・国歌に対する敬意が必要で、学校教育で配慮されるのは当然だ。(第二小法廷・竹内行夫裁判官・補足意見) という国際マナーを習得する子どもたちの教育を受ける権理」のどちらに重きを置くかという論点である。
まず、戦後間もない時期から一定の期間、国際社会とくに日本の軍国主義の犠牲となったと受け止めている国や地域の人びとにとって、「日の丸」「君が代」がそのシンボルであり不快なものとみなされたことは、素直に認めるべきである。そうした人びとに配慮するとともに、軍国主義への反省を世代を超えて忘れてはならないとして、②の歴史観を持つ国民が少なからず存在したことも当然である。
つぎに、日本が、新憲法制定から今日に至る間、平和主義と国民主権に基づき、国際社会で行動し、その一員としての責任を果たし、東西対立の終焉、新興国の発展等の国際政治環境の変化の中で、一環して軍国主義の反省と平和主義を堅持してきたことは、国際社会の評価として定着し、新憲法は国民の普遍的な価値になっているといえる。国際社会のかつての「日の丸」「君が代」への否定的な見方も相当程度見直されているはずだ。そのことを多くの国民は素直に受け止め、その結果当然②の歴史観を持つ者が、著しく少数者になっている。
そこで、③にいう「通達に面従腹背するのではなく、信念としてそのような行動をすることを潔しとしない(宮川裁判官)」少数者である教諭の思想・良心の権理をまもることが、思想・良心の自由を尊重するという社会全体の人権伸長にどの程度寄与するのか。それは、国際マナーを習得するという子どもたちの教育を受ける権理を一定程度犠牲にしても相当な寄与なのか。秤にかける話である。第三小法廷の田原睦夫裁判官の反対意見は、起立行為は儀礼的所作で「職務命令のうち起立を求める部分は合理性を肯定できるが、斉唱を求める部分は教諭らの信条にかかる核心的部分を侵害する可能性がある。(中略)式典の秩序が完全に保持されなくても、大きく乱されない限り、通常の校務運営に支障を来たすとは言えない」職務命令として斉唱を求めて違反行為を懲戒処分すれば乱用が問われる、としている。卒業式を含めて校務の主人公は子どもたちである。秩序を大きく乱さない現実的な知恵として、少数者の教諭には「口パク」を求めたい。
④は政治的な評価であり、「式典の円滑な進行を図る価値中立的な意図ではなく」とすれば、都議会の場や関係の選挙で糺されるべきことである。1999年から、国旗国歌については、「法律改正」議論も可能になっている。もちろん、②の歴史観を持つ教諭が存在することを否定してはならない。一方、そうした歴史観を持つ教諭が、「儀式では意思に反して面従腹背したこと、思想・良心に基づき、その歴史観を表明する」権理をまもる機会は、今日の日本社会では多くの手段が存在している。
したがって、「子どもたちの教育を受ける権理」に重きを置いた判断は、権理の主張は人間の理性と良心を前提とするという世界人権宣言の立場も踏まえ、妥当な判決として支持する。メディアに対し、「国民審査制度」を踏まえ、この判断に関する国民の輿論調査を実施することを提案する。今日の「社会通念」が明確になるはずだ。
注目したいのは、千葉勝美裁判官・第二小法廷の「最終解決としては、国旗・国歌が強制的ではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが重要だ」という補足意見。
「日の丸・君が代・反対」を掲げる社会運動のリーダーが、オリンピックの表彰式、サッカーのワールドカップの試合前、ボクシングの世界タイトルマッチのセレモニー…スポーツのときは感動する、あれは別だ、と私に語ったことがある。別ではない、21世紀の人権実現社会、人権文化国家日本を築くために日の丸・君が代を敬愛する社会環境づくりに努力したい。<水>

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