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出生、死亡と人権

「生きていることになっている人びと」の問題は、年金や恩給の不正受給事件という一面が注目されてきた。反対にいえば、年金、恩給のずさんな支給事務という怠慢行政の問題だ。
江戸時代の人物を調べるならば、旦那寺や埋葬された寺の過去帳に記載された命日・死亡日と併記された生年月日が頼りだ。生年月日の記載がなければ「生年不詳」となる。
今日、戸籍、住民基本台帳、選挙人名簿、年金手帳、運転免許証…そして国勢調査、ID・個人・人間の存在証明の手段はさまざまある。その精度にたくさんの疑問符が付いてきたわけだ。
人権の視点からみると、人間の出生は何時からか、死亡は何時からか、がはっきりしない時代を迎えている。生命科学、生殖医療、産科医療等の発達により、命の誕生、人間の誕生を「分娩」を境界にすることは困難である。生命維持医療と生体移植医療等の発達は、人の死の再定義を求めている。
また、ID・個人の証明は、高精度な、DNAという科学的手法も可能となっている。
戸籍制度をはじめ現行制度のあり方は、当然見直さなければならないだろう。
が、その前に「人間の生と死」「個人の証明」をどう考え定義するか、ある程度時間をかけた国民的な議論を起こすことを提案する。
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