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防災訓練、AEDと三角巾

 昨日、マンション自治会の防災訓練があった。年1回の恒例行事。あいにくの雨天で、消火訓練などは中止。集会室で「心臓マッサージとAEDの使用法方」「三角巾の使用方法」。毎年やっているが、AEDはマンションにも設置されており、心臓マッサージの重要性とともに勉強になった。ところで「三角巾」これも毎年おなじみのメニュー。が、日常生活の中で見たこともない。訓練のときにだけ登場する歴史遺産では…。日清・日露戦争時代の軍隊ではじまって、21世紀まで続いていたりして、まさか。


 企業の社会的責任と人権(11)
■人権の再確認と人権文化
10 ハンセン病元患者・平沢保治さんのこと?
 企業の社会的責任とハンセン病問題はあまり関係ないと思われるかもしれない。ハンセン病問題の本質は、患者や回復者・元患者に対する社会的差別の根深さにある。21世紀の今日もなお、歴史的経緯や予断・偏見が複雑に関連して、交際忌避、結婚差別そして就職差別という形で表面化する。対象は、元患者などの当事者だけでなく、家族、親戚縁者に及ぶ。同様の社会的差別に同和問題がある。部落差別による不公正な採用選考の実態、この就職差別問題こそ企業が人権問題と向き合うことになった契機。両者はけっして無縁ではない。企業の人権担当者が、ハンセン病問題の基礎知識をもつことはたいへん有意義なことだと思う。
 人権文化を育てる会の総会にも出席してもらったことのある平沢保治・元多磨全生園入園者自治会長から、私が聞いた話。平沢氏の著書『人生に絶望はない -ハンセン病一○○年のたたかい』(1997、株式会社かもがわ出版)などを参考に整理してみる。
 平沢氏は1927年、茨城県西部の裕福な農家に生まれた。13歳のときにハンセン病と診断され、14歳で国立ハンセン病療養所・多磨全生園に入園。
 歴史的にみると、「らい(癩)病」は天刑病(前世において悪事をはたらいた人たちがなる病気とする宗教観)、業病といわれてきた。遺伝病という誤認もあった。
 1873年ノルウェーのハンセン博士が「らい菌」を発見。単なる感染症であることが証明される。長い歴史の中で「業病」という偏見、遺伝病という誤認に染まった「らい病」ではなく、今日では「ハンセン病」と呼ぶ根拠である。単なる「言葉狩り」ではない。参考に『広辞苑』第三版(1983、岩波書店)の記載を見てみる。偏見を前提に「副詞」として使われる用例が出ている。
 びゃく・らい【白癩】?皮膚が白色となる癩病。(中略) ?転じて、誓いの語。この誓いを破るときには、白癩の業病をうけてもかまわないという意で、「決して」「どうしても」の意。浄、女護島「━返してくれられ」
 ハンセン病は、末梢神経を冒す慢性の伝染病だが、感染力は弱い。平沢氏は「栄養状態、衛生状態が悪い中で、菌に対して抵抗力の弱い特異な体質の人が、治療を受けていない保菌者と反復接触することで感染すると考えられています。その証拠に、ハンセン病の療養所一一○年近い歴史の中で、そこで働いている職員がハンセン病に罹患した、うつったという例は一つもないわけです」(同書)と述べ、自身は父親から感染したと推測している。ところが、遺伝病、天刑病という偏見が残る中で、チフスやコレラのような強力な伝染病という偏見が社会に広がった、と指摘している。
 それは、1943年に「プロミン」など特効薬が発見され、日本でも47年から使用されるようになってからも続いた。平沢氏は、こうした偏見がもたれ、社会から怖がられた理由として「末梢神経が冒されますから知覚が失われる。(中略)そうしたことによって、いろいろな後遺症が発生するわけです。末期症状で重症になると、皮膚の表面が腫れ上がり、そして視力を失ったり、あるいは口が変形したり、手足にひびが入ったり、ひどいことになりますと指も全部なくなってしまって、だるまさんのような手になってしまいます。(中略)でも最近は医学が進歩し、後遺症を残さないで治療ができるようになっています。今日、病気だと診断されても後遺症は残りません。しかし、一般の人はそんなこと知りませんから、私たちの後遺症を目にして、恐怖感をもってしまうわけです」(同書)と指摘している。
 こうした偏見を背景に、明治以降の政府は、つい最近まで、患者、元患者・回復者を人間扱いしない「隔離政策」を漫然と続けてきたわけである。
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