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殺人犯の逃げ得許さぬ判決

 28日の最高裁判決、26年後に遺体が見つかった殺人事件で犯人に損害賠償を命じた二審判決が確定。犯人は、時候成立後に自首、刑事責任は問われない。民事で遺族が損害賠償請求。が、一般的には「不法行為があったときから20年が経過すると、損害賠償の請求権は時効で消滅する」という民法の条文から「除斥期間」により請求の権理は一律に消滅する、という。今回の判決は、それでは「著しく正義・公平の理念に反する」として例外とした。逃げ得は許さない。被害者の権理を軽くみてはならない。至極当然の判決と思う。ところが「例外」である。
 民法の見直しを立法府が考えるべきではないか。刑事事件の公訴時効見直しも関心が高くなっている。総選挙へ向けて、政党は「政権公約・マニフェスト」に一項設けるべきと思う。

 「企業の社会的責任と人権」連載も何とか三日坊主はクリア!

企業の社会的責任と人権(4)
■人権の再確認と人権文化
3 「権利」よりも「権理」
 私自身の「人権」という言葉の理解・認識は、この中坊氏の文章に大きく導かれた。要約するよりも引用をもう少しつづける。(『わたしと人権』(ぎょうせい、平成10年)所収、「人権について」から引用。)
【そもそも「理」は道理の「理」を意味する。司馬遼太郎さんの本に「理」という言葉について、次のようなことが書かれていた。
 彼の戦友がシベリアで抑留されていた当時、石割り作業に従事していた話が出た。小柄でひ弱にみえる戦友が、「石割り作業というような重労働が何故できたのか」という質問に対し、「私は日本国で戦前石屋をやっていた。石屋には石を見て割れる筋が見えるのです。そこにノミを当てることによって素人目には割れそうにない石が割れるのです。この極意をシベリアの石割り作業でも使えるようになったのです」と話したという。
 司馬さんは、「理」という字は「王」偏に「里」と書き、この「王」は本来「玉」の意味であり、「里」は「離」に通じる、即ち「理」という字は「玉を筋に沿って割ること」を意味すると語っておられる。
 世の中には複雑にいろいろな要因が絡み合って、どこから解決してよいのかが分からないことが多い。しかしそのような難問題であっても、常に石が割れる筋があるように、物事にも解決してゆく筋がある。その筋こそが正義であり、正義の概念の中に人権がある。
 物事を表面的に見ず、あるいは論理だけの議論に惑わされないで、あやふやな将来予測を捨てて、正義・人権という観点から物事をみる時、根本的に解決していく道筋が見える。人権という「権利」も正しくは「権理」と書くべきであった。】
 「理」の字義は「石のすじ」のこと。「人権・人間の権理」とは、「人間として正しいと合理的に説明できる行為を遵守し、他人のそれを侵したり、自分のそれを侵されないようにする」ということもできるだろう。

 
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